茶道教室(表千家) 1977年(昭和52年)〜

勤労青少年ホームにて茶道教室から倉本先生の教室に入門

表千家とは

表千家(おもてせんけ)は、茶道流派の一つ。千利休を祖とする千家の家督を継いだ千家流茶道の本家であり、宗家は京都市上京区小川通寺之内通上るにある。
表千家を象徴する茶室不審菴(ふしんあん)の号の由来は「不審花開今日春」の語に由来しており、財団法人不審菴が管理している。
現在の家元は、千利休から数えて、14代目の而妙斎(じみょうさい)千宗左(せんそうさ)家元である。代々の家元は紀州藩主である紀州徳川家御三家の茶頭として格式を誇り、紀州徳川家と強いつながりがあった三井家とも縁があった。


大学の後、植木屋のバイト中、庭作りの仕事があった。
個人で庭の図面を作成して見せたところ、お茶の茶道から家や庭が成り立つと。
始めに茶道を始めることにした。




一年目:教室の生徒に



茶道教室でカメラで写真を撮ることは今までなかったと倉本先生から言われ時々写真を。




ホーム初釜



二年目:同じ教室へ

三年目:倉本宅入門
ホーム教室の先生の助手になる。

ホーム月見会




忘年会



先生宅「初釜」









衣装先生より借りる




ホーム初釜



ホーム青年祭




先生宅「茶会」



四年目:免状受ける。
『おゆるし』とも云われているように、その段階の、お点前の許可証。


ホーム教室の先生の助手。

先生宅「茶会



倉本好子先生は広島のゴルフアー倉本昌弘の母
時々倉本昌弘に逢うがまだアマであったと思う。










ホーム月見会



1981年春、倉本先生は自宅の教室を止め、木村ルリコ先生に就く様すすめられ私は了解しましたが、三篠から江波に行くことで休んでしまい終わってしまいました。
木村ルリコ先生にはすみませんしか。

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