日本一周の旅 完結まで

曲:アルハンブラの思い出(タルガ)

1回目。昭和49年(1974年)4月1日~19日:二人で日本一周の旅が始まりました。
 家庭と仕事と学校と教会の日々から解放されたい自由になりたい私は、旅に逃げたのかもしれない。自分の意思で計画に入り準備をしてまいりました。
一人で旅立つことにしていましたが、教会の友人でありギターの友が一緒に行きたいと言うので心ぼさもなくなると思い決断しました。

2回目。昭和49年(1974年)8月2日~10日:YH(ユースホステル)泊で一人で
 日本一周の旅(四国ドライブ)。

3回目。昭和49年(1974年)10月27日~11月25日:一人で車泊とYH泊。
 日本一周の旅(北海道ドライブ)。

4回目。昭和50年(1975年)11月1日~3日:二人で
 日本一周の旅(山口ドライブ)。

5回目。昭和51年(1976年)5月1日~5日:3人で
 日本一周の旅(北九州ドライブ)。

6回目。昭和52年(1977年)1月1日~4日:二人で
 日本一周の旅(日向~別府ニューイヤサイクリング)。

7回目。昭和52年(1977年)7月28日~8月2日:一人でYH泊
 日本一周の旅(沖縄サイクリング)。

8回目。昭和54年(1979年)12月29日~1月5日:一人で
 日本一周の旅(鹿児島サイクリング)。

終了。

 

昭和49年(1974年)4月1日~19日:二人で
 日本一周の旅はたった19日間で終わってしまった。

地図をクイック 

昭和50年(1975年)11月1日~3日:二人で
 日本一周の旅(山口ドライブ)。

地図をクイック 

1974年の時代背景は。
 テレビドラマ「日本沈没」が始まり、3月10日、元日本兵・小野田寛郎(52)がフィリピンのルパング島で30年ぶりに救出された。 元上官が現地入りし「復員命令」を下達したのに応じたもの。「命令があるま
で任務を続けるつもりだった」と発言。 3月12日に帰国。

物価
•【交通】 国鉄 上野-青森間普通旅客運賃3410円。 都バス60円(10月)。
•【飲食】ビール160円、かけそば150円
•1月:インスタントラーメンメーカー、原料の小麦粉の高騰を理由に値上げ。袋入り40円から60円、カップ入り100円から130円に。
•【雑誌】「週刊朝日」130円(3月)、150円(10月)
•【新聞購読料】朝日新聞朝夕刊セット月決め1700円(7月)
•【初任給】大卒 8万2629円

新商品・ヒット商品
•カメラ コニカ C35EF[小西六写真工業]
<世界初のフラッシュ内蔵カメラで「ピッカリコニカ」の愛称でベストセラー機に>
•玩具 超合金「マジンガーZ」
•玩具 ゲイラカイト[エー・ジーインダストリー、750円]
•幸福行き切符[国鉄、70円]
<北海道広尾線「愛国-幸福」間の切符が、幸せを招くお守りとして人気を集めるようになり、郵送も受け付けた>

ことば(流行語・話題の発言)
「巨人軍は永久に不滅です」(長島茂雄) 長島引退 「諸悪の根源」 「ストリーキング」 全裸で街中を疾走すること。この年にアメリカで突如起こり、全世界的に流行
の兆しを見せ始めた。 「晴天の霹靂」(三木武夫) 椎名裁定で自民党総裁に指名されて、「晴天の霹靂、予想だにしませんでした。非常に光栄に存じます」と感想を述べた。 「千載一遇のチャンス」(ゼネラル
石油) オイルショックに際し、「石油危機は石油製品の大幅値上げをはかり、利益を得ることができる千載一遇のチャンス」だと社内に文書で通達した。 「負けそう」

日本のヒット曲・流行歌
•うそ(中条きよし)[作詞:山口洋子](1月発売)
♪ 折れた煙草の 吸いがらで あなたの嘘が わかるのよ
•赤ちょうちん(南こうせつとかぐや姫)(1月発売)
•襟裳岬(森進一)(1月発売)  レコード大賞
♪ 北の街ではもう 悲しみを暖炉で 燃やしはじめているらしい
•二人でお酒を(梓みちよ)[作詞:山上路夫](3月発売)
♪ うらみっこなしで 別れましょうね さらりと水に ずべて流して
•私は泣いています(リリィ)[作詞・作曲:リリィ](3月発売)
♪ 私は泣いています ベッドの上で
•精霊流し(グレープ)[作詞・作曲:さだまさし](4月発売)
♪ 去年のあなたの想い出が
•ひと夏の経験(山口百恵)(6月発売)
♪ あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ
•結婚するって本当ですか(ダ・カーポ)(6月発売)
•昭和枯れすすき(さくらと一郎)(7月発売)
♪ 貧しさに負けた いえ 世間に負けた
•黒の舟歌(加藤登紀子)(7月発売)
•傷だらけのローラ(西城英樹)(8月発売)
•よろしく哀愁(郷ひろみ)(9月発売)
•ペニーレインでバーボン(吉田拓郎)[作詞・作曲:吉田拓郎](12月発売)
♪ テレビはいったい誰のためのもの/見ている者はいつもつんぼさじき
<ペニーレインは原宿にあったロックカフェ。1990年にCD化されるときに「つんぼさじき」が差別語とされ発売中止となった>


日本一周の予定コース

昭和49年(1974年)8月2日~10日:YH(ユースホステル)泊で一人で
 日本一周の旅(四国ドライブ)。

地図をクイック 

昭和49年(1974年)10月27日~11月25日
:一人で車泊とYH泊。
 日本一周の旅(北海道ドライブ)。

地図をクイック 

昭和51年(1976年)5月1日~5日:3人で
 日本一周の旅(北九州ドライブ)。

地図をクイック 

昭和52年(1977年)1月1日~4日:二人で
 日本一周の旅(日向~別府ニューイヤサイクリング)。

地図をクイック 

昭和52年(1977年)7月28日~8月2日:一人でYH泊
 日本一周の旅(沖縄サイクリング)。

地図をクイック 

昭和54年(1979年)12月29日~1月5日:一人で
 日本一周の旅(鹿児島サイクリング)。

地図をクイック 

日本一周旅行はひとまず終了しました。
最初のつまずきと、お金不足、就職して時間がなくなり時だけが過ぎ去り、それでも旅行は好きなのかもしれない、旅はその後、隠岐の島・対馬・壱岐と、海外へも行くことになった。

汗水流して働き、今の生活からチョット離れ旅にでる。自然・歴史・人のふれあい・食事に、一人も複数でも好いその旅に好いことも悪いこともありますがハプニングと解放が自分にとって楽しみです。


TOPへ






inserted by FC2 system